入試情報 資料請求 在学生の方へ 卒業生の方へ

湖畔のカフェで水鳥を見ながらビル・エヴァンス 【上河原献二】

2024年07月30日(火) 10:19更新

琵琶湖西岸のJR近江今津駅の前でレンタサイクルを借りて15分ほど湖岸を走るとありました。高島市新旭水鳥観察センターです。

 

中に入ると、窓から琵琶湖とそこに集まる水鳥たちを、見ることができるようになっています。

訪れたのは2月のまだ小雪の舞う時期でしたが、中は暖房が効いていて快適でした。

ありがたいのは、内部にカフェ(Cafe Early Bird)が併設されていることです。

普通なら昼食をどうするか考えなければなりませんが、ここではその心配がありません。まず早めの昼食を取ろうと席に向かったところ、聞こえてきた音楽はきらめくようなジャズピアノでした。私が学生の頃から聞きいているビル・エヴァンス・トリオのワルツ・フォー・デビーというアルバムだったのです。カフェを切り盛りしている方と、ビル・エヴァンスの話をしました。琵琶湖畔の水鳥観察センター内のカフェで、ビル・エヴァンスの音楽と出会えるとはうれしい驚きでした。

滋賀県内には、もう一つ、長浜市による湖北野鳥センターがあります。そちらも、琵琶湖の景色と水鳥の群れが素晴らしく、また毎年冬にやってくるオオワシ(「山本山のおばあちゃん」)が有名です。

このように自然保護区に隣接して建てられて、一般利用者が野鳥観察できるように望遠鏡が設置された建物で、職員が常駐しているものを、「野鳥観察施設」と呼ぶことにします。それが日本に最初に建てられたのは、そう遠い昔のことではありませんでした。千葉県による「行徳野鳥観察舎」と愛知県による「弥富野鳥園」が、1970年代半ばのほぼ同じ時期に設置されました。どちらも、内湾の干潟干拓に対する野鳥の会など自然保護団体による保全運動を踏まえたものでした。この流れは、東京都による東京港野鳥公園や大阪市による南港野鳥公園の設置につながっていきました。

では、「野鳥観察施設」という考えは、どこから来たのでしょうか?日本にその考え方を最初に紹介したのは、鳥類学者の山階芳麿博士が1967年に出版した本1)でした。日本の鳥獣保護区のように管理人も置かれずに放置されているものよりも、アメリカやイギリスの私立の保護区の方が大きな成果を挙げていると指摘しました。山階博士はそのような保護区を「サンクチュアリ」と呼びました。1975年に日本野鳥の会事務局長になった市田則孝さんは、山階博士の本を読んで、「サンクチュアリ」が日本における鳥獣保護区が抱える問題を解決するものだと思いました。そして、日本野鳥の会によるサンクチュアリ設置運動が始まり、1981年にウトナイ湖サンクチュアリが開設されました2)。さらに、1990年代になると、水鳥の生息地等の保全を目的としたラムサール条約の国内実施のために、環境庁(その後環境省)による水鳥・湿地センターの設置が始まりました。2022年末の時点で、「野鳥観察施設」は、全国に51ケ所設置されるまでになりました。

野鳥観察施設では、望遠鏡や図鑑もそろっているので、利用者はそれらを運んでくる必要がありません。また、雨や、夏の暑さ、冬の寒さもしのぐことができます。さらに職員の方から水鳥についてお話をお伺いすることができます。おかげで、普通の人も野鳥観察を気軽に楽しむことができるようになっています。詳しくは、当学科の卒業生の卒論をもとにした論文(谷野克海・上河原献二, 日本における野鳥観察施設の展開について, ヒトと動物の関係学会誌, Vol.68, 41-50, 2024)をご覧ください。

 

1)山階芳麿, 鳥の減る国ふえる国 欧米鳥行脚, 日本鳥類保護連盟,;1967:79.

2)市田則孝, サンクチュアリとは何か, 造景;1999:35-39.