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歴史をめぐる佐賀・長崎の旅【平山奈央子】

2022年05月31日(火) 12:23更新

GW,佐賀と長崎へ旅行に行ってきました.プチ歴女を目指している私には大変興味深く,日本の歴史を学ぶ旅になりました.旅程は,佐賀の名護屋城→平戸城→波佐見焼の陶器まつり→嬉野温泉→ 諫早湾→潜伏キリシタン集落→出島→眼鏡橋→軍艦島(端島)という感じです.平山ツーリストは予定を詰め込みがちなのですが,“メインの見るとこ1日2つまで”の精神でゆったりプランのつもりです.

訪れたスポットの位置図<google mapをベースに筆者加工>

名護屋城と平戸城は日本100名城のスタンプを求めて訪れました.名護屋城は,豊臣秀吉の時代,朝鮮半島に侵攻するための拠点として1590年代に築かれ,城周辺地域に全国の名だたる武将が参集しました.非常に大規模なお城と城下町だったそうです.現在,お城の博物館は日韓交流事業を行っており,展示の説明では韓国語が併記されていました.戦争について考える機会となりました.
<参考> 佐賀県立名護屋城博物館HP: https://saga-museum.jp/nagoya/

秀吉の時代に雲行きが変わったキリスト教,徳川家康によって禁教令が出されました.禁教下における潜伏キリシタンらが暮らした(逃れた)集落や教会などは世界文化遺産に登録されています.その中の一つ,出津(しつ)集落を訪れました.当時の人々の暮らしや独特の信仰スタイル,地域の女性らに寄り添った神父の活動などを知ることができました.

日本の近代工業化の一端を担った軍艦島(端島)の炭坑は,同じく世界文化遺産に登録されています.1810年から炭鉱開発が進み,1974年に閉山されるまで,掘り進んだ炭坑,全国から集まった炭鉱労働者やその家族らの暮らし,建物の劣化調査などについて知ることができました.調査ドローンの映像によるVRがあり,決して立ち入ることのできないアパートや小学校の教室の中を見ることができました.

軍艦島(端島)の全景

少し話は変わって,有名な観光スポット”眼鏡橋”です.私の研究テーマである水に関する発見がありました.眼鏡橋を迂回するように両側に暗渠があり,どこにつながっているのか気になったので上流に行ってみました.下の写真は眼鏡橋から2つ上流の橋の上で下流の方を向いて撮った写真です(写真奥に眼鏡橋があります).本流の左右に水路入口があり,眼鏡橋の少し下流で再び川に合流します.これらの水路は洪水対策用ということです.

上流側から見た眼鏡橋

最後にもう一つ,水環境に関するトピックです.諫早湾の干拓をめぐる歴史的背景をご存じでしょうか?1950年代に干拓の構想が発表されて以降,農水省の事業として進められ,その間いくつもの訴訟が起こりました.下の写真は道路(潮受け堤防)を挟んで右側が海,左側が農業用水源の調整池(淡水)です.水位は調整池の方が低く,水の色が違うことがわかります.この干拓事業については大変複雑な問題があり,一言では語れないので詳しくは他の文献にゆずります.同様に干拓の歴史を持つ湖が国内にはたくさんあります.現在も農業用水源となっている湖として,例えば児島湖(岡山県),潟湖では八郎湖(秋田県)や河北潟(石川県)などです.一方,中海(島根県・鳥取県)は締切り・淡水化を検討されましたが事業は中止されました.
<参考文献の一例>渋谷和久:その後の土木 完成後も残る見直しの声–諫早湾干拓事業(長崎県),日経コンストラクション,434,pp.32-39(2007)

潮受け堤防から見た諫早湾

コロナで旅行に行きにくい時期が続きましたが,そろそろ人の流れが戻ってくるような気がします.夏休みは東南アジアに行けたらいいな.
波佐見陶器まつりでステキなお皿をたくさん買いました( *´艸`)