在りし日の香港 【香川雄一】
2022年02月24日(木) 02:36更新
2020年に入ってからのコロナ禍で海外調査の実行が非常に困難になってきました。2020年3月に中国へ行く予定が延期になり、その後、海外に行く計画はすべて断念せざるを得なくなりました。直近の海外調査が2018年11月に行った香港ということで、その時の様子を紹介することにしたいと思います。ただしタイトルに使った「在りし日」にはビフォア・コロナというだけでなく、香港独特の意味合いもあるのです。
「在りし日」という表現を使って風景などを紹介するときは、ある大きな変化があった前後で過去を振り返って当時を偲ぶということが思い浮かべられます。例えば、明治時代の人が江戸時代の頃のこととか、高度経済成長後に開発前の様子を振り返るということが挙げられると思います。2021年に開催された「2020東京オリンピック」の開催に際して、1964年のオリンピックの場面とともに、当時の東京の映像が頻繁に放映されていました。
では香港の場合、「在りし日」という表現はどのようにあてはまるでしょうか。たぶんすぐに想像できそうなのは、1997年のイギリスから中国への統治権の返還でしょう。当時は香港が大きく変わると思われていたかもしれませんが、一国二制度という政治体制の下で香港の生活自体にはそれほど劇的な変化はなかったようです。もちろん、都市再開発が進められたために風景は変わったでしょうが、経済成長を経験してきた世界各地で生じた変化と同様です。なぜあえてここで「在りし日」という表現を使うかというと、新型コロナウイルスの世界的蔓延だけでなく、香港は2019年以降で政治的に大きく変わったということが言えるからです。
ニュース映像などで「香港の2019年」の映像を思い出す人もいるかもしれません。2018年にカメラをぶら下げて歩き、交通機関に乗って、巡っていた場所が、まったく異なる場所であるかのように映し出されていました。一時的に空港も閉鎖され、内外の移動もできなくなりました。政治制度の変更によって、今後は行動の制限や表現の自粛ということが生じることも考えられます。そういう意味では、自由に一人で行動できて、気軽に撮影できていた香港というのは、やはり「在りし日」のという表現を使いたくなるのです。わずか4日間の滞在でしたが、街の景観や香港島や九龍半島の風景などを、自分が専門とする都市社会地理学的な観点から、紹介してみたいと思います。
まずは概要図から香港の位置と地形的特徴を確認しておきます。香港は中国の南部に位置していて、南シナ海に面した大陸の半島部と香港島をはじめとした島々から構成されています。緯度的には台湾の最南端のあたりになるので、亜熱帯となります。19世紀半ばのアヘン戦争の結果により、イギリスの植民地となりました。最初は香港島のみでしたが、大陸とつながる半島部も香港の一部として、イギリスが統治する範囲を広げていきます。深圳市のすぐ下にある境界線が、香港といわゆる大陸部の中国とを区分しています。海を挟んでやや西に隣接するポルトガルの植民地となったマカオとともに、ヨーロッパ的な文化が持ち込まれ、植民地独特の景観が形成されていきました。
1997年に「一国二制度」という方式で、イギリスから中国へ返還されました。正式名称としては「中華人民共和国香港特別行政区」という行政単位になります。香港島が植民地となって以来、100年以上は独自の道を歩んできたわけです。「一国二制度」を50年は維持するとされていましたが、ちょうどその半分にあたる25年目の香港は、政治制度的に大きく変わろうとしています。
香港の象徴的な景観は大陸側の九龍半島と香港島に挟まれた海峡部に面した高層ビル群でしょう。香港で最も高いビルの展望台から海峡部を撮った写真から、高層ビルが海に面してひしめき合っているのが分かると思います。もう一枚は香港島側の写真です。やはり海岸に高層ビルが所狭しというように立ち並んでいます。
同じ展望台から海とは反対の九龍半島側を眺めると、密集して高層ビルが並んでいることが分かります。おそらくそのほとんどは高層集合住宅でしょう。限られた面積に人口が密集する高密度の都市としての住宅政策が分かるような気がします。香港島側の集合住宅も、香港特有の坂道に面して高層階の建物が並んでいます。
香港の郊外の様子を知るために、地下鉄(といっても途中からは地上)の終点の駅まで行きました。路線によっては開通して間もない駅もあるようで、駅前付近が工事中だったところもあり、さらには目の前に高層住宅がそびえ立っている駅もありました。まだまだ経済成長とともに人口も増えるのかなという気もしました。人口増加の要因としては、大陸側からの人口流入による社会増加もあるようです。
さて、香港の一般的特徴ばかり説明していても、せっかくこの学科コラムで紹介するという意味はあまりありません。香港を訪問した理由の一つは大都市の社会問題の現場を見ておきたいということでした。諸外国や日本の大都市もそうですが、近代化の過程で都市化や工業化を経る中で、さまざまな都市問題や環境問題を経験しています。都市化や工業化の歴史は、対策としての環境政策に刻み込まれています。
九龍城跡地の公園はまさにそのような場所なのです。今となっては現地の景観からはまったく想像できないのですが、「九龍城砦」と呼ばれた集合住宅地区で、かつては都市問題の巣窟と言われたような場所だったのです。20世紀末に都市再開発が進められ、公園として整備されていました。この場所で都市問題が発生していた理由として、旧啓徳空港に近く、さまざまな人が混在し、密輸などの犯罪も発生していて、治安が悪かったからということがあるようです。現在では空港が西部にある大嶼島北側の埋立地へ移転してしまったので、空港跡地も完全に再開発されていて、豪華客船ターミナルへと変貌していました。空港があった当時は、高層ビルに接近するように飛行機が離着陸するため、世界で一番危険な空港とも呼ばれていたのです。
訪問した時点での「在りし日の香港」は資料や想像でしか思い浮かべることができませんでした。その代わりに「香港歴史博物館」を見学しておきました。
もう一つの香港を訪問した理由は「大都市の健康環境」を探るというものでした。このプロジェクトを申請したのは、2017年だったので、まだ新型コロナウイルスの話題は影も形もありません。大都市の環境汚染は都市住民の健康被害も発生させるということで、同じプロジェクトで、ロンドンでは18世紀に発生したコレラ患者の集中地区、ロサンゼルスでは民族別居住分化と大気汚染の分布に関係するような場所を訪問していました。
香港は先にも紹介したように非常に狭い場所に人口が密集している大都市です。このような場所に感染症が発生したらどうなるのか、環境政策としても考えておかなければならない課題です。比較的最近の感染症の被害として、2003年のSARSの流行がありました。日本にはほとんど影響していませんが、香港ではかなりの被害が発生していました。そこには集合住宅の換気不足が感染者増大に影響していたことが指摘されています。さらに19世紀末にはペストも発生しています。
ペストの感染者が数多く発生していた場所の近くにある「香港医学博物館」を訪問しました。まだ衛生環境が整っていない中で感染症が発生した場合、都市はどのような対策を取ればよいのか、現在の新型コロナウイルス対策を想定しても非常に深刻な課題となります。坂を上った中腹にその博物館はありました。訪問当時はひっそりとした雰囲気の静かな場所でしたが、現在であれば、多くの人が感染症に興味関心を持って訪れているかもしれません。
最後に、今回の香港訪問により得られた思わぬ収穫について紹介しておきます。「環境フィールドワークⅡ」の授業で、「竹の未来的利用―自然と伝統に学んで提案する―」というグループに参加しています。香港を訪問して「竹の近未来的利用」のような景観に遭遇しました。
まず竹の「建築資材」としての利用に気づいたのは、香港大学のキャンパスの中庭に竹が無造作に置かれていたのを見たことです。なぜこんなところに竹があるのだろうと、少しだけ気になりながら歩いて行くと、大学の建物に「改築用の足場」として竹が使われていたのです。日本の建築現場では見慣れない風景だったのでまず驚きました。
続いてキャンパスから見晴らしの良い場所で、大学とその周囲を眺めていると、大学の建物が竹で組んだ仮設足場で囲まれており、海側の高層ビルも竹で作った足場に囲まれていることに気づきました。カメラの望遠レンズで確認してみると、高層ビルの最上部まで竹をつないで伸ばしているようです。こうなってくると街の中でも、竹が気になって仕方がありません。香港大学を離れて道路を歩いていると、香港ならではの二階建て路面電車が走っていて、その様子よりも奥にあった看板の補強材としての竹が気になってしまいました。
改めて、現在に至るまででは最後の海外調査を振り返ってみて、どこへ行くかも重要ですが、いつ行くかということも経験としては大事なことだと思えてきました。大学生のみなさんにとっても、早く国内外を自由に移動できるようになることを、切に願いたいと思います。