かつて「琵琶湖のホープ」と紹介された外来魚 【香川雄一】
2023年12月25日(月) 03:24更新
今年度から『滋賀県史』の編さん事業が本格的に始まりました(https://archives.pref.shiga.lg.jp/index.php/kenshi)。県史というと歴史学のイメージが強いかもしれませんが、政治だけでなく経済や社会、教育や文化といったようにさまざまな専門分野が関係しています。滋賀県史では特に「環境・琵琶湖」の専門部会が設けられることになり、環境科学部や環境政策・計画学科として、研究・教育していることが関連してくると思います。これまでの滋賀県史の歴史として、昭和初期(1927~28年)に第一期の『滋賀縣史』、昭和末期(1974~86年)に第二期の『滋賀県史 昭和編』が刊行されており、今回の企画は、明治初期に行政を始めた「滋賀県」の150周年記念を兼ねている事業でもあります。少しだけ歴史学的な補足をしておきますと、今回の県史編さん事業は、明治時代以降の近代よりも後を想定しており、江戸時代など近世よりも前は編さん事業の対象時期には入っていません。
さて、『滋賀県史』の「環境・琵琶湖」専門部会に携わるようになって、これまで滋賀県内の環境問題・環境政策を研究してきたことで、滋賀県の近現代の行政史とも関係させられることがいくつかあるのではないかと考え始めました。滋賀県の環境問題というと、琵琶湖の富栄養化や、水質浄化を目指したせっけん運動がまず思い浮かぶかもしれません。もちろん、琵琶湖の集水域を含めた治水・利水なども視野に入ってくるでしょう。湖岸の環境変化という点では、内湖の干拓や琵琶湖総合開発事業も滋賀県史の対象範囲です。
環境汚染への対処という点ではせっけん運動などの住民運動だけではなく、生業の場としての琵琶湖を守ってきた漁業者の活動も想定できると思います。琵琶湖の汚染や沿岸域の開発への対策とともに、ある時点からは「外来魚問題」が琵琶湖漁業における争点になってきます。これまでも、外来魚問題は滋賀県が行政施策として取り組むとともに、漁業者の立場からの本や、本学科(専攻)卒業生によるレジャーとしての釣り産業の観点からの本が出版されてきました。漁業者を対象とした社会学者や魚類を専門とする生物学者、生態系からの観点での研究など、数多く公表されています。ゼミの卒業論文でも、捕獲した外来魚のリサイクルへの取り組みや、滋賀県内のため池の外来魚問題の実態が調査されてきました。
それらを調べていく中で気になったのは、「外来」魚だけに、いつ琵琶湖に出現して、どのように環境政策・水産行政において現在のように問題化されたのかということです。同じくゼミの卒業論文で、琵琶湖の水質や水資源の新聞記事の掲載状況(見出しの大きさや滋賀版と京都・大阪・神戸版との比較)を調査しましたが、昭和の末期(~1980年代)くらいまでは、あまり「外来魚問題」の記事は見つからなかったようです。
そこで、「京都新聞」の滋賀版(残念ながら現在、滋賀県に日刊の地方新聞はありません。)を何年分かにわたって、1枚1枚読み進めてきた結果(マイクロフィルムなのでリールを回転させてきた結果)、いくつかの事実と、外来魚対策を政策として実施する前の様子がつかめてきました(香川雄一(2018)「『自然』の構築と琵琶湖の『自然』」『滋賀県立大学 環境科学部 環境科学研究科 年報』第22号、10-13頁)。その概要としては、外来魚が問題化する前には、漁業資源としての導入が検討され、駆除対象というよりも資源として重宝されようとしていた事実があったということです。今回、京都新聞の滋賀版を、さらに歴史をさかのぼって読み進めた(回し続けた)結果、新たな情報を入手できたので、『滋賀県史』の原稿化よりも前に、紹介しておくことにします。
本コラム見出しの「琵琶湖のホープ」という表現に違和感を持たれた方、あるいは漁業政策上から嫌悪感を持たれた方は、現在の価値観では当然でしょう。釣り客はともかく在来産業としては相当な難問です。解決策としての駆除事業も完璧には実現できないようです。ところが、1966年(昭和41年)に時計の針を戻してみると、今とは異なる価値観が展開していました。
1966年1月6日の「京都新聞の第二滋賀版(16面)」には、「デビュー近い 新湖魚」という見出しで、「びわ湖漁業のホープ『ブルーギル』」というキャプションの写真が掲載されていました。中見出しには「北米産の“珍種” 美味、真珠養殖にも一役」とあります。どうでしょうか。今の感覚として、この記事は信じられるでしょうか。真珠養殖に外来魚が活用されていたことは、琵琶湖漁業の歴史としても滋賀県政としても共通理解が得られていると思いますが、真珠養殖への活用の前に、「鮮魚」としても有望視されていたようです。
もう少し詳しく記事を見ていきましょう。まず冒頭から「まがり角に立つといわれる湖国の淡水漁業の苦境打開のホープとして登場した北米産の淡水魚“ブルーギル”は、いま彦根市の県水産試験場で最終的な研究と観察が続けられているが、淡水真珠の母貝増殖にも大きく貢献することが確認された。」とあります。すでに上記の「年報」でも紹介したように、この時期には滋賀県水産試験場で「外来魚」の養殖について研究されていました。
魚種としての特徴も記事では詳しく説明されており、「この魚はサンフィッシュ科に属する雑食魚で、こん虫、水草などなんでもたべ、岸寄りの浅いところに生息し、五月から十月にかけて泥の中に穴を掘って一度に一万-五万という大量の卵をうむ。しかも三、四年で体長三十センチていどに成長、北米でも釣り魚として愛好されており、さらに肉は淡水魚らしくない美味という。」ことです。新聞記者ならではの書き方かもしれませんが、「外来魚」への期待感が伝わってきます。
「外来魚」としての問題も当時から認識されていたようで、記事の最後の方には、「ところが先年アメリカから輸入されて芦の湖に放流され湖魚をたべ荒らして問題になった同科のブラックバスの例もあって、在来の魚との競合関係の慎重なテストが続けられており、現在同場の飼育池にいる一万尾で観察研究中で、実際にびわ湖に放たれデビューするには二、三年さきになりそうだという。」とまとめられています。「外来魚」や「在来魚」という言葉はありませんが、漁業が漁獲対象とする魚種への「食害」の問題はすでに伝わっていたようです。ただし、記事の続きには「いまのところ日本名のないこの魚に『ビワコクロダイ』『ビワコスズキ』などの候補名から適切な名前をつける方針」と、「外来魚問題」よりは、「びわこ漁業のホープ」としてイメージされていたようです。歴史的な事実としては、記事から50年以上がたっても、ホープとしての「ビワコクロダイ」や「ビワコスズキ」は登場せず、外来魚問題としての「ブルーギル」が存在しています。
琵琶湖やその下流域で、「ブルーギル」が「発見」されるまでの間に、政策的な事実関係を解明できる新聞記等はまだ見つけられていないのですが、同年の新聞記事から、確実に養殖事業に「ブルーギル」が活用されていくことが判明しています。
1966年12月30日の「京都新聞の(滋賀)県民総合版(13面)」には、「イケチョウ貝 人口養殖に明るい見通し」という見出しと、「新年度から事業化 “ブルーギル”を使用 まず四万個を養殖 県水試」という第二見出しで、「外来魚」の活用方法が紹介されています。記事冒頭の概要説明では「湖国の特産、淡水真珠の母貝“イケチョウガイ”は、びわ湖の汚染と乱獲で減る一方。このため、県では数年前から県水産試験場を中心に、珍魚“ブルーギル”を使って、養殖の実験を行なってきたが、企業の見込みが立ったので、新年度から事業化することになった。実験結果では、規模を大きくすれば県下の必要量は、全部まかなえる見込みで、関係者の期待は大きい。」と、漁業政策として順調な様子がうかがえます。
気になる具体的な養殖方法は「県水産課の計画によると、養殖方法は近江八幡市の“西の湖”に、縦・横百メートルの網イケスを作り、その中に五十六個のアミを入れ、その一つずつに県水試で産卵させ、卵をつけたブルーギルを入れて、卵が落ちたところで、引き揚げる方法と、縦・横六十メートルの区画の中に十二個のイケスを作り、その中に卵をつけたブルーギルを放流する二方法を採用、さし当たり新年度は四万個の稚魚を養殖、将来は県下の必要量だけ養殖する。」と解説されています。翌年度から琵琶湖に接するところで大量の外来魚が泳ぎ始めたのだろうなということが想像できます。「年報」で紹介したように、1970年前後から、琵琶湖だけでなく、大阪府内の淀川でも「ブルーギル」が発見されるようになっていきます。
この先の外来魚問題の展開として気になるのは、いつから「悪者」扱いされ、「駆除対象」になったかです。このころの記事には釣り産業・釣り客と漁業者の対立構図はまだ表れていません。次にいつ報告できるのか、学科コラムで扱うかどうかも未定です。なお、滋賀県のHP(https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/shigotosangyou/suisan/18681.html)による紹介では、ブルーギルは「琵琶湖では、1965年(昭和40年)〜1975年(昭和50年)にかけて散見され始め、1993年(平成5年)に南湖を中心に大繁殖しました。」とあるので、最初の状況はほぼ確認できたということで、問題化する1993年のころか、同HPにより、滋賀県が外来魚対策を実施し始める1985年度(昭和60年度)に、あたりをつけることになりそうです。
今回のコラムの内容は、滋賀県立大学環境科学部環境政策・計画学科の授業として「地域環境政策論」や「地域開発論」に関する内容になるのかなと考えられます。データ分析などの理系的なスキルに加えて、資料収集や批判的な文献の検討など、文系的なスキルも身に着けられるようになることが、本学科の特性と言えます。「リケジョ」や「レキジョ」に注目が集まっているかもしれませんが、男女にかかわらず「リケイ」も「レキシ」も興味がある学生にとって、卒業論文などの研究によって、知識を深め、研究成果によって政策への貢献の一助とすることを、学生時代の目標とすることができる学科なのです。文理融合は進路選択としての可能性だけでなく、個人の修得スキルの一技能ということも言えるでしょう。