北ドイツのラムサール条約湿地 【香川雄一】
2016年04月25日(月) 06:06更新
ここ数年、他の大学の先生方と一緒に、日本や外国にあるラムサール条約湿地を訪問しています。ラムサール条約とは、イランのラムサールというところで1971年に採択された湿地の保全に関する条約です。最初は湿地に生息したり、飛来してきたりする水鳥の保護に注目されていましたが、最近では湿地の「Wise Use(賢明な利用)」にも関心が集まっており、地域の人々による生業や生活のための、湿地の利用方法にも目が向けられています。現在では世界に2,000ヶ所以上のラムサール条約湿地があり、日本には北海道から沖縄県に至るまで50ヶ所が存在しています。
一昨年の8月に北ドイツのハンブルクの近くにある、広大な干潟から形成されたラムサール条約湿地を訪問しました。地図に示すとおり、オランダからドイツを経てデンマークにかけての北海沿岸には広大な干潟があります。干潟とは、潮の満ち引きによって海面となったり陸地となったりする場所です。写真に示すように潮が引くと干潟は人々の憩いの場所となっており、沖合約8kmにある島まで歩いて行けるそうです。砂浜には日光浴をする人もいれば、干潟で乗馬の練習をする人もいました。ここはラムサール条約だけでなく、世界遺産や(ドイツの)国立公園にも指定されているそうで、自然環境が保護されつつ、自然を体験できる観光地としても利用されていました。
到着日の翌朝、干潮の時間帯だけに運行される馬車に乗って、一路、沖合の島を目指しました。澪筋(干満の流路)を避けつつ、適度に揺られながら、約1時間でノイヴェルク島にたどりつきました。朝早かったということもありますが、8月下旬にもかかわらずとにかく寒かったという印象です。よく考えたらそこは北緯55度付近で、東西を日本の位置に置き換えると北海道のさらに北、ロシアのサハリン島の北端くらいの緯度だったのです。島のビジターセンター(訪問者への解説のための施設)を見学した後、昼食は熱いスープを注文しました。真夏の日本では考えられないメニューです。
帰りには馬車が使えないということが分かっていました。なぜなら、満潮時に馬車のルートは海没するからです。そこで直径2kmほどの島の反対側にある港から、船でエルベ川河口にある港に戻りました。高校の地理で習ったエルベ川のエスチュアリー(三角江)を見ることができて感動したものです。途中で船から海を見ると土台が水没した避難所が見えました。馬車で通ったときに見たものとは異なりますが、もしも干潟で遊んでいて、満潮時に帰れなくなった場合には、こうした避難所に上って干潮まで待っていなくてはならないそうです。自然を楽しむにも命がけになる場合もあるようです。
さて、今回の北ドイツのラムサール条約湿地の訪問で考えたこと、学べたことは以下のようになるでしょうか。大昔から干潟は干潟であり、潮が引く時だけ、陸地になります。近代以降の工業化によって、こうした干潟は埋め立てに便利な工業用地としても開発されてきました。その結果としての大気汚染や水質汚濁は事例を紹介するまでもないでしょう。北ドイツにも工業地帯がないわけではありません。エルベ川の中洲には大規模な航空機工場がありましたし、今回、訪問した島の近くでは、海岸侵食を防ぐための護岸工事が進んでいるそうです。こうした人間による開発があるにせよ、一方では干潟に鳥や馬や貝がいて、アメニティとして利用する人々がいるという、共存関係を保てる場所の確保が大事なのではないかと思いました。