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なぜ公害は繰り返されるのかー私の環境学ー 【林宰司】

2014年05月15日(木) 10:04更新

1.環境認識と環境政策

 日本をはじめとする多くの先進国は経済発展の過程で公害を経験してきたが、それらと同様の公害や環境問題が発展途上国でも繰り返されている。先進国が経験してきた環境問題は、途上国が経済開発を行おうとするときには、既に産業や技術との関係が明らかになっているはずであるのに、なぜ未然に防止することができないのだろうか。この点については、「後発の利益」ということが指摘されている。「後発の利益」とは、先進国が既に開発した技術を、途上国が研究開発投資をすることなく安価に利用することができることを指す。技術面についてだけでなく、環境認識および環境政策についても同様のことが言える。すなわち、途上国ではより早期に問題の発生を認識することができ、また、環境政策上も先進国の経験を活用することができるというものである。しかし、アジアを見てみるだけでもかつての日本と同様の公害が発生している国は多く、現実には後発の利益は働いていないようである。この問題について考えてみたい。

2.経済成長と環境

 環境経済学の分野では、環境クズネッツ曲線(EKC:Environmental Kuznets Curve)という経験的法則が知られている。それは、横軸に1人当たり所得水準(GDP)、縦軸に環境汚染指数(例えば、二酸化硫黄排出量など)を取ると逆U字型の曲線を描くという仮説である(図1参照)。環境クズネッツ曲線は環境政策の実施状況とも関連するのであるが、閉鎖経済(貿易のない経済)で解釈すると、所得水準の上昇によってある一定の水準までは環境が悪化するが、一定の水準を超えると環境が改善するということになる。ここから導き出される政策的示唆は、「ある程度まで豊かにならないと環境に対して配慮することができないので、途上国が環境改善を実現するためには所得水準を上げる必要がある」ということである。しかし、経済のグローバル化が進展する現在では、このような解釈だけでは十分ではない。開放経済(国際貿易のある経済)では、貿易を通じた産業構造の変化によって、途上国が汚染集約的な産業を担うようになれば、先進国は汚染の発生する生産工程を自国内に持つことなく、汚染集約的な財を手に入れることができる。つまり、先進国の環境クズネッツ曲線の右下がりの局面は途上国のそれの右上がりの局面とセットで考えなければならない(図1参照)。

図1.環境クズネッツ曲線

図1.環境クズネッツ曲線    出所:筆者作成

3.貿易と環境の経済理論

 先述したように、汚染集約的産業が環境規制の相対的に厳しい先進国から緩い途上国へと移転する現象は、「公害輸出」や「汚染逃避」、「エコ・ダンピング」などの仮説として知られている。このような現象は理論的に分析すると、生産費用上昇による財の競争力低下と関連する。環境税やその他の規制的手段は、環境に有害な影響を及ぼすような財を生産する企業に追加的な環境対策の費用を負担させることを通じて、その財の生産黄用を上昇させる。その結果、消費者の需要は、価格の上昇したその財から他の代替的な財へと移り、その財の生産を減らす効果をもたらす。国際市場を考えた場合には、そのような環境負荷の大きな財を生産する産業は、環境基準強化によって輸出競争力を失うことになり、大きな打撃を受けることになる。輸出財でなくとも、環境負荷の大きい汚染集約的な製造工程で生産される財が国内で必需品であるならば、海外で生産する費用(管理費用やマーケティング費用、および外国での慣れない環境で生産を行なう不便に起因する費用も含む)と、そこで生産した財を自国へ輸送する輸送費用、および関税を合計した費用が、自国での環境対策費用を含めた生産費用よりも小さければ、企業は海外に投資して生産拠点を移転することを選択するだろう。その結果、環境基準の厳しい北の国から、環境基準の緩い南の国へと汚染集約的産業が移転することになる。

 しかし、それだけでは問題の見方が一面的である。というのは、汚染集約的産業が途上国に立地する要因は環境規制が緩いことだけではないからである。例えば、安価な労働力や産業にとって必要な資源が途上国に豊富に存在することも要因として考えられる。実際、実証分析の示す結果では、南北間の環境規制の差異が汚染集約的産業の立地パターンを決定しているわけではないという結論がほとんどである。理論的研究では環境規制水準の相違が産業立地に影響すると言えても、実証研究ではそうは言い切れないのである。

 研究面でこれらの仮説に決着がついていないことを嘲笑うかのように、現実の問題は解決されずに存在する。日本が何らかの形で関連しているアジアにおける公害輸出の事例は、マレーシアのマムート銅鉱山(日本の投資が51%)の重金属汚染、韓国の蔚山無機化学(日韓の合弁会社、日本側の出資者は、日本化学)による六価クロム汚染、フィリピン・シンター・コーポレーション(川崎製鉄の子会社)による大気汚染、韓国の高置亜鉛によるカドミウム汚染(東邦亜鉛との合弁企業)、インドネシアのスマラン・ダイヤモンド・ケミカル社(昭和化工40%三菱商事30%出資)による河川の汚染、マレーシアのエイシアン・レア・アース(三菱化成が35%出資)の放射性廃棄物による汚染、フィリピンのパサール銅精錬所(丸紅、住友商事、伊藤忠商事がそれぞれ16%、9.6%、64%出資。プラントは丸紅が受注し、三井金属鉱業、古川鉱業がデザイン・建設)の大気および重金属汚染など、数え上げればきりがない(表1参照)。さらに、このような問題解決のための政策実施が難しい点は、貿易や直接投資などの国際経済活動を通じて、加害・被害が国家という行政単位を越えてしまっているためにその因果関係の構造が見えにくくなってしまっていることだけでなく、問題が顕在化しても誰がどのように解決するかという国境を越えて政策を実施する主体やルールが存在しないことである。

4.おわりに

 環境問題は机上の理論だけでは解決しない。理論どおりに解決するなら、問題は既になくなっているはずである。解決方法も必ずしも一通りではなく、もしかしたら解がないかもしれない。現場と理論を往復しながら、「ああでもない、こうでもない。でもこうではないか。」という試行錯誤を繰り返し、解に近づこうとし続ける姿勢が必要であると、筆者は考えている。

(『環境科学部 年報 第13号』 2008年3月31日)

表1.公害輸出史年表   出所:筆者作成

表1.公害輸出史年表   出所:筆者作成