遠い国へ飛び出そう―自分には何もないということ― 【小野奈々】
2015年06月18日(木) 09:09更新
ブラジルに、みなさんはどんなイメージがありますか。サッカー、サンバ、あとはなにがあるだろうか。そんな感じなのではないでしょうか。大学生の私にとっても、ブラジルは見知らぬ国でした。でも、行ってみたいと心に決めた瞬間がありました。
大学2年の春、私は焦っていました。いずれ卒業研究のテーマを決めないといけない、就職活動で自分をアピールできないといけない…。20年も前のことになりますが、個性が大事だといわれていました。詰め込み教育で知識ばかり身につけてきたのに、大学に入った途端に、個性をもとめられるようになった。「私の個性っていったいなんなのだろう。」「自分はみんなと違う誰なのだろう。」「それを伸ばしていかないと、社会に出てもたいした仕事ができないのではないだろうか。」まわりには、分厚い哲学書を読んでそれを説明してくれる友人や、演劇で才能を開花させようとしている仲間、楽器の演奏にのめり込んでいるサークルメンバーがいました。帰国子女でフランス語が堪能なクラスメイトもいました。のめり込むような熱い思いも、秀でた能力ももっていない。自分の状況にとても焦っていました。
「私には(たぶん)何もない。」私は最終的にこの事実をうけとめました。「何もないなら、何か生み出さないといけないのではないか」とぼんやりと考えていたときに、大学の廊下になんだか目立つポスターが貼ってあることに気づいたのです。大きな文字で「君もブラジルに行ってみないか」と書いてありました。ブラジルで1年間研修するためのアレンジをしてくれる某社団法人による留学研修生募集のポスターでした。
そのポスターは、毎年同じような大きさで同じような場所に貼ってありました。だから何度も見たことはあったのですが、人は求めているときにしか反応しないものなのかもしれません。「そうだ。私もブラジルに行こう。もう絶対に、行こう」と心を決めました。ブラジルがどんな国なのかという前知識は、全くありませんでした。理解していたのは、「日本からみて、地球の裏側にあるラテン系の国」ということだけです。みんなが行かないような、遠い国へ行って、そこで自分の個性になるものを身につけよう、その模索をしてみよう、と決心しました。
ブラジルでの生活については、別の機会に書いてみたいと思いますが、それは私にとってかけがえのない経験になりました。語学(ポルトガル語)を習得できたことで、現在にいたるまでのブラジルでのフィールドワーク研究につなげることができました。帰国してから日本にいる日系ブラジル人の子どもの教育問題という卒論のテーマをみつけました。それを入口に社会学という学問に出会い、研究仲間やかけがえのない恩師に出会いました。
だから、自分には何もない、ということに気づいたときには、とても辛いことだけれども、そのことに劣等感を感じる必要はないと思っています。若いうちならば、何かを探し求める起爆力につながるからです。気づいた時から、何かを得ようともがくことの方が、大切なことなのではないでしょうか。日本の大学にいる4年間は、比較的のんびりとしていて、悪い意味で「人生の夏休み」と揶揄されます。でも、のんびりと過ごす余裕のある時こそ、人は悩めるし、自省して、自分を模索するパワーを爆発させることができるとも思うのです。大学にいる4年間というのは、過ごし方次第では、そんな贅沢な夏休みになりうるものなのかもしれません。