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中国・洞庭湖の沿岸域 【香川雄一】

2018年02月23日(金) 11:44更新

昨年(2017年)9月に環境政策・計画学科の先生方2名とともに中国の湖南省長沙市を訪問しました。湖南省と湖北省という省名の起源となったのが、長江の中流域に広がる洞庭湖です。中国の淡水湖では第二位の面積を誇ります。日本においては最大の面積を持つ琵琶湖とのつながりから、湖南省は滋賀県の姉妹友好州省のひとつとなっています。滋賀県立大学も湖南師範大学や湖南農業大学と留学の協定を結んでおり、交換留学生が往来している馴染みのある場所でもあります。

湖南師範大学に研究員として在籍中の本学大学院の修了生から研究交流のお誘いがあり、湖南師範大学の先生方と研究シンポジウムを開催するとともに、湖南師範大学のある長沙市から足を延ばして、岳陽県で洞庭湖を見学しました。実は、別の大学院修了生が洞庭湖の面積縮小についての修士論文を執筆しており、念願の中国初訪問に加えて、洞庭湖の実態を目撃する機会に恵まれました。

琵琶湖と同様、洞庭湖も集水域の都市化や工業化による水質汚濁、さらには環境保全政策の課題を抱えているようです。世界的に見ても経済成長の中心となっている中国の中でも、長沙市は人口600万人以上の大都市で、湖南省だけでも7000万人を超える人口です。高度経済成長期の日本のように、自然環境への負荷は喫緊の課題なのでしょう。

洞庭湖の沿岸域(南に長沙市、東に岳陽県)

関西国際空港から上海経由で長沙市の空港に着いたのは深夜だったため、翌朝になってから、洞庭湖の見学のために岳陽に鉄道で移動しました。まずは自然保護管理局で説明を受けた後に、洞庭湖の沿岸に車で移動して、「湖南省東洞庭湖国家級自然保護区」に到着しました。

洞庭湖沿岸の湿地(岳陽郊外)

ところどころに湖の内部に陸地があるため、見渡す限りの水面というわけではないのですが、琵琶湖であれば視界が悪くなければ見える対岸というものがまったく見えません。それもそのはずで、琵琶湖の面積の約4倍もあるのです。とはいえ琵琶湖も深さという点では洞庭湖に負けていません。なんと面積は約1/4なのに、湖の容積は琵琶湖の方が大きいそうです。最深部の深さが3倍以上ということで、水資源量という意味でも琵琶湖の価値を改めて見直す機会になりました。

琵琶湖の沿岸もそうですが、湖の深さが浅いということは、流入する河川の土砂によって埋まる可能性や干拓や埋立によって人工的な土地利用に転換する場合も増えてきます。洞庭湖は、長江を含む河川からの流入する土砂によって歴史的に面積が縮小し、食糧確保のために農地の拡大によって、面積の減少が加速していきました。琵琶湖の内湖も第二次世界大戦前後から高度経済成長期にかけて内湖が干拓されて農地となり、都市部の沿岸では埋め立てられて工場や住宅が建設されてきました。こうした経緯は資料や地図で確認することができます。

洞庭湖を目の前にしたときは、緑豊かな湿地が広がり、漁船や観光ボートが点在していてのどかな風景でしたが、これは岳陽の市街地から車で30分ほど移動したからこそ見える光景だったのだと思います。「自然保護区」として環境保全政策を実施しないとますます開発が進むことになるかもしれません。
とはいえ、都市部の住民にとって、住宅や産業も大事です。さらには湖を観光地として利用することもあるのでしょう。岳陽の市街地に戻ってから、車で10分ほどのところにある内湖の周りを見学しました。沿岸に高層建築物を含む建物が迫り、大学や農地がある一方で、寺院を模した休憩所や子供向けの遊園地などもあり、住民や学生、農業者や観光客からも沿岸域が利用されていました。

岳陽の内湖沿岸(周囲の都市化)

今回、中国には初めての訪問だったのですが、中国経済の勢いとともに日本との交流を見つけることができたのも成果の一つです。「環境」とはやや離れるかもしれませんが、補足しておくことにしましょう。

空港から長沙の市街地への移動は深夜だったので暗くて景色は見づらかったのですが、中心部に近づくにつれて、高層建築物群が増えていき、建設途中のビルも数多くありました。これからもしばらくは経済成長が続くのでしょう。

長沙から岳陽への移動は、中国の「新幹線」(高速鉄道)を利用しました。車だと4時間かかるところが、40分程度で移動できました。車内の速度表示では時速300kmを超えており、日本の新幹線よりも速いのです。通過駅で待っていた時も、米原駅での新幹線の通過体験よりも圧倒的なスピード感でした。

中国の「新幹線」(長沙南駅)

もうひとつの裏目的が、長沙で平和堂を見てくることでした。滋賀県内ならどこでも見かけられるような、あの平和堂です。長沙に平和堂があることを知ったのは、5年ほど前に暴動事件があったことがきっかけでした。インターネットを調べてみると、平和堂は海外1号店として1998年に長沙店をオープンしたそうなので、もう20年が経っていることになります。

滞在スケジュールの関係で、夜しか平和堂へ「買い物」に行けませんでしたが、人口600万人都市の都心部の一等地にあり、地下鉄の駅も目の前でした。地元の人にとって平和堂はスーパーマーケットではなくデパートなのだそうです。店の前を行き交う人々の賑わいも彦根駅や大津駅とは比べのものにならず、京都の四条河原町や大阪の梅田のようでした。なお、暴動の名残はまったく感じさせられなかったので、そこはご安心ください。

長沙の平和堂(建物)

長沙の平和堂(入口)

初日と最終日はほぼ飛行機の移動にしか使えなかったので、実質的に2日間の滞在の中でも、湖と大都市、環境と経済、自然と人間の関係を改めて考えることができました。
やはり、百聞は一見に如かず です。