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「西欧自然環境保全の旅」第2回 なぜオランダの平地の林が国立公園として残ったのか?実業家夫婦の夢 【上河原献二】

2024年05月17日(金) 11:24更新

本学科上河原献二教授が、一般社団法人日本植木協会の機関誌「緑化通信」に本年4月号まで過去6回連載した記事をご紹介します。

※「緑化通信」のご好意で転載許可をいただき、転載しています。

第2回目は、なぜオランダの平地の林が国立公園として残ったのか?実業家夫婦の夢

オランダの国土は、こ承知のとおり平坦ですが、国土の約10%が森林です。特に東部には森林地帯と呼ばれる地域があります(Mohren & Vodde, 2006)。そこには、オランダの国立公園で二番目に 古 い デ・ホ ー ヘ・フ ェ ル ウ ェ(De    Hoge Veluwe)国立公園があります。なぜ平坦で人口密度の高いオランダで平地の林が国立公園として残ったのでしょうか?

第一の理由は、その地域の土地が農業利用に余り向いていなかったということです。林床の更に下はやせた砂地です。そのため、林を切り開いて農地にしても、薄い表土が風に吹き飛ばされて、砂地がむき出しになってしまうのです。デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園のあちらこちらに開けた砂地を見ることができます(写真①)。それは、私が子供のころの瀬戸内の、風化した花岡岩の丘陵にまばらに松とススキが生えていた景観とよく似ています。つまり農業開発に失敗した結果の荒れ地が広がっていたということになります。19世紀にはオランダの森林は、東部のやせた土地に残って、国土のわずか2%となり、裕福な人々の狩猟楊となっていたそうです(Mohren  &  Vodde  , 2006)。デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園も、もともとは海連業で成功したアントン・クレラーとヘレン・ミュラーの夫妻が、20世紀の初めに狩猟楊として土地を買い集め、邸宅を建てた楊所だったのです。

それではなぜ、そのような私有地が国立公園として残ったのでしょうか?夫妻は、1909年から狩猟楊として土地を取得し、次第にその面積を拡大していきました。現在の公園面積は5500ha で、新宿御苑(58ha)の100倍ほどです。そしてフェンスで土地を囲い込み、シカ、イノシシなどの狩猟獣を導入しました。また、邸宅を建て、美術品を収集しました。しかし、1923年以降の経済不況の中で、夫妻が資産を維持していくことは難しくなっていきました。土地と美術品を保全するためにいくつもの関係者との交渉が持たれ、その結果、土地は1935年に設立された民間の「デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園財団」にオランダ政府の支援を受けて売却され、美術品はオランダ政府に寄贈されて、やはり政府の支援によって美術館が建てられることになりました(Nijhof & Pelzers, 2011)。美術館は、公益団体「クレラー・ミュラー美術館財団」により管理されています(https ://krollermuller.nl/en/anbi-status)。こうし て、実業家夫妻の築いた財産は、国立公園と美術館として一般に公開され維持されることとなりました。デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園には、オラン ダ東部の小都市アペルドールンから、バスに乗って30分ほどで行くことができます。バスの中で国立公園の入楊券を買うことができ、ビジターセンターまで乗車できます(写真②③)。入楊券は、2023年5月現在12.3ユーロとなっています。2019年の同公園広報誌の記事によると、年間60万人(5万人の学校生徒を含む)の来訪者があったとのことです。私が訪れた2019年8月末も多くの来訪者でにぎわっていました。1800台もある貸自転車で公園内を散策することができます(写真④)。

デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園は、二次的自然と美術館の組み合わさった里地のナショナルトラスト型国立公園とも呼べるユニークな存在です。別の言い方をすると、人手の加わった里地でも、工夫次第でこのように人々から愛され親しまれる存在になれることを教えてくれています。

参考文献

Mohren, G.M.J. & Vodde, Floor. (2006). Forests and Forestry in the Netherlands. Forests

and forestry in European Union Countries.

Nijhof, W. H. & Pelzers, E. (2014). The Hoge Veluwe Book, WBOOKS.