薪考(まきこう)【井手慎司】
2017年11月27日(月) 10:07更新
わが家では先月(10月)23日,薪(クッキング)ストーブにこの冬初めての火を入れた.例年に比べると半月ほど早い.これは,前日の夜半に台風21号が通過したせいで,湖西の住んでいる一帯がその日の午後7時ごろまで停電になってしまったからだ.暖をとるというよりは,夕飯を調理するためであった.幸い,停電になったとはいえ水道は使えたし,なので手動であれば,トイレも流すことができた.水と火と,それに食料さえあれば,人間,あとはなんとかなるものである.
台風21号といえば,とにかく風が凄まじかった.わが家の被害はたいしたことがなかったが,屋根の瓦やカーポートの屋根材が吹き飛ばされたり,納屋や庭木が倒れたりしたご近所の家も多かった.すぐそばの川沿いに立つ,樹姿が美しかったナラカシワの大木も,風上側の太い枝が二本折れてしまい,見る影もない.
そんなこともあり,台風一過,その川の河床は,流木や屋根材の残骸などで埋め尽くされていた.しかし,ちょうど一週間後にも別の台風がやってきたことから,自治会総出による川掃除が実施できたのは3週間以上もたってからのことであった.
川掃除に参加した私は,いわゆる”ごみ”を拾い集めるとともに流木や倒木を川から引き上げるのを手伝った.ついでに,ナラカシワを含む川沿いの木々の折れた枝をチェーンソーで切り落としていった.切り落としたり引き上げたりした木々は,ご近所の了解をとった上で,手ごろな長さに切り揃え,太いものは鉈と斧で割り,そして,わが家の薪棚へとせっせと運びこんだ.その他にも,別の地区のごみの仮置き場で偶然見つけ,もらってきた木などもあり,何やかやで集まった薪は400キロ近くになるだろうか.年間の消費量が1トン少しのわが家にしてみれば,今年はちょっとした薪長者である.もっとも,集めた薪はすぐに使えるわけではなく,乾燥して使えるようになるためにはあと1年以上待たなければならないが.
そういった視点で見ていると,あの台風の後,風によると思われる倒木が湖岸沿いのあちこちにあって,それらが放置されているのがやけに気になる.もったいないので,チェーンソーを持って,もらいに行きたい衝動に駆られる.以前に写真で見たことがあるが,それは昭和初期の彦根の湖岸で,やはり台風の後だったのだろう,大量に打ち寄せられた流木を集落の人々が総出で拾い集めている様子を撮ったものだった.琵琶湖の特に東岸沿いは,集落が山から遠く,そのため,流木は昔から貴重な燃料資源だったに違いない.
湖岸に放置された倒木や流木は,ほとんどの人々には漂着ごみの類にしか見えていないのだろうが,薪ストーブユーザにとってみれば,昔の人と同じようにりっぱな資源である.見るモノすべてがごみに見える「廃棄物メガネ」(この世の中すべてのモノは,いずれは廃棄物になる,つまり「潜在的ごみ」だという考え方)があるとしたら,その逆の「資源(もったいない)メガネ」というものもあっていいんじゃないか.そう思いながら,湖周道路を走る今日この頃である.