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バイカル湖ミステリーツアー?【井手慎司】

2021年11月30日(火) 11:09更新

バイカル湖をはじめてこの目で見たのは,シベリア鉄道の車窓からだった.しかし,“シベリアの真珠”とも呼ばれ,かねてから行ってみたいと切望していた湖だったはずなのに,最初に見たときの記憶がどうも鮮明でない.無理もない,そのときは,湖の景色を楽しんだりしているような気持の余裕がまったくなかったからだった.
その年(2001年)は世界湖沼会議が17年ぶりに滋賀県で開催された年だった.それに先立つ7月末から8月頭にかけて,バイカル湖の南東部に位置するウランウデ(ロシアのブリヤート共和国の首都)で開催されたリビングレイクス会議という,湖沼関係の環境NGOが集まる国際会議に招待され,他の2人の日本人と一緒に参加したときの話である.

当初の旅程では,新潟からウラジオストックに飛んで,そこで一泊して,次の日にイルクーツク経由の国内線でウランウデに入る予定だった.ただ,この旅行は,出発前からいやな予感がしていた.主催者から送られてきたのが,新潟からウラジオストックまでの,それも片道分の航空券しかなかったからだ.先方の担当者に何度か,それ以外のチケットはどうなっているのか問い合わせてみたが,ウラジオストックに着けばわかる,の一点張りである.仕方がないので,とにかくウラジオストック行きの飛行機に間に合うように伊丹から新潟に飛んだ.ところが,乗るはずだった飛行機が,まだ到着していないということで欠航となり,新潟で一泊することになる.やっと飛行機が飛び,ウラジオストックに到着したのは次の日のお昼前だった.
入国手続きを済ませて到着ロービーに出ると,フライトが翌日に変わったにもかかわらず旅行社のスタッフが待っていてくれた.そこでやっと,その夜のイルクーツク行の航空券を手渡される.しかし,いくら聞いても,イルクーツクより先のことはわからない,イルクーツクに着けば誰かが待っているはずだ,と繰り返すばかりである.
ウラジオストックを午後7時過ぎに立った飛行機は午後11時前にイルクーツクに着いた.確かにイルクーツクの空港にも迎えが待っていた.旅行社と会議の主催者団体のそれぞれのスタッフである.ところが,その時間にはもうウランウデ行の飛行機の便がなかったからだろう,空港から駅に連れていかれて,今度は,深夜3時の列車に乗れと指示される.
イルクーツクの駅の待合室は真夜中なのに人で溢れ返っていて,不夜城のようだった.しかし,定時になっても一向に列車が出る気配がない.列車に乗れたのは,やっと早朝の5時をすぎてのことだった.あとから聞いた話では,飛行機嫌いで知られた,北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)の乗った特別列車が近隣を通過したための遅延だったそうだ.
とにかく指示されるままに乗り込んだのは,2段ベッドが左右にある4人部屋の寝台車だった.満員だったせいか同行の二人とは離れた別の車両にたった一人だけ.どうしようという気持ちもあったが,一つだけ空いていたベッドに潜り込んだら,長旅の疲れと寝不足もあり,すぐに眠りに落ちてしまった.
目が覚めたときは,もう9時が近かった.そのとき,車窓から見たのがはじめてのバイカル湖だった.(イルクーツクからウランウデに向う列車なので)いま湖の東岸沿いに北上しているんだな……といったことを考えながら,しばらくぼーっと湖を眺めていたと思う.が,頭が回り始めると,自分の置かれているいまの状況の方が気になり始めた.
同室となった残り3人はいったい何者だろう? うち2人は,いで立ちからチベット僧だとわかった.残る1人は――いかにもロシア人らしい白人で,さいわい片言の英語をしゃべることができ,どこから来たのかと話かけてきた.名前はレオナルドといい,職業はシステムエンジニアだそうだ.なにかの話の流れで,好きな気温はということになり,自分はマイナス10℃くらいがピリッとしていて一番好きなのだという.さすがシベリアだと妙に感心してしまった覚えがある.そんなこんなしているうちに,車内で行商人がオームリというバイカル湖特産の魚の燻製とピロシキを売りに来た.それをレオナルドが買って,食えと言って分けてくれた.空腹だったのでありがたかったが,正直言って,美味しい,というものではなかった.
ウランウデ駅には午後の1時過ぎに到着した.そして,出迎えてくれたスタッフから,帰りのウラジオストック行きの航空券を受け取る.駅から滞在するホテルまでは車でたった5分で,ホテルに着いたとたん,また数時間爆睡してしまった.
その後,ウランウデで5日間を過ごした後,帰国のためウランウデ空港からイルクーツク経由でウラジオストックに飛んだ.空港でも,やはり旅行社のスタッフが待っていて,関空行の航空券を渡されるとともに市内のホテルに連れていかれて,そこで一泊した.翌朝,ホテルから空港に送ってもらい,なんとか無事に(これは当初の予定通りの日時に)帰国することができたのである.
出発まであえて目的地を知らせない,または到着するまで目的地がわからないようにする旅行のことを“ミステリーツアー”と呼ぶそうだ.では,目的地も途中の乗り換え地点もわかってはいるが,乗り換え地点に到着するまで,次の乗り換え地点にどう行くのかがわからない,チケットも持たされていないような旅行を何と呼べばいいのだろう? 海外の旅には慣れているつもりだったが,自分の経験の中でも一番,心細かったのが,このはじめてのバイカル湖への旅だった.