なぜ近江商人は続出したのか?~ロールモデルの大切さ~【高橋卓也】

2017年08月31日(木) 10:18更新

近江商人と私

近江商人をご存知でしょうか?

若い世代だとあまりご存知の方はいないかもしれません。江戸時代に近江(現在の滋賀県)から全国へと活躍の場を広げた商人たちのことです。北は北海道から、南は鹿児島まで進出の足あとが残っています。総合商社の伊藤忠、丸紅、ふとんの西川などは近江商人系の企業です。なぜ、環境科学部の私が近江商人に関心があるのでしょうか。

本学に勤務する以前、私はカナダの西海岸、バンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で留学をしていました。そのとき、同志社大学から在外研修で末永國紀先生が同大学を訪問され、そのときに近江商人について知りました。実は、末永先生は近江商人研究の第一人者で、『近江商人―現代を生き抜くビジネスの指針』(中公新書)などの一般書も書かれています。近江商人の研究でなぜカナダかというと、多くの滋賀県民が明治以降カナダに移民し、カナダの地、とくにバンクーバーでビジネスをしていたためです。滋賀県立大学がある彦根市八坂町(はっさかちょう)からも多くの住民がカナダへ移民し、「アメリカ村」とも言われていたそうです(当時は、アメリカ合衆国もカナダも同一視されていたのかもしれません)。1995年の滋賀県立大学設置当時、カナダの日系人から寄贈されたカエデの木が本キャンパスには植えられています。

※ 以下は、京都新聞に掲載された、カナダに旅立った滋賀県人についての記事です。本学・地域共生センターの上田洋平先生も登場されています。

日系人(上)http://www.kyoto-np.co.jp/info/special/postwar70/20150626_9.html
日系人(下)http://www.kyoto-np.co.jp/info/special/postwar70/20150626_10.html

 

近江商人のふるさと・近江八幡の街並み

この近江商人の経営哲学が「三方よし」だとされます。「売り手よし、買い手よし、世間よし」で社会と調和するビジネスの必要性に江戸時代から気づいていたと言われます。これは、現代で言うところの企業の社会的責任(CSR;Corporate Social Responsibility)の日本版とも考えられます。企業の環境対策に私は興味を持って教育・研究をしております。企業の環境対策は企業の社会的責任の一環とも考えられます。こうして私は、同志社大学の末永先生を通じて、CSRにも関わりのある近江商人に関心を持ったのです。

 

ロールモデル

なぜ滋賀県から、全国に活躍する商人が多く出てきたのか、その理由については諸説あります。東海道・中山道・北国街道などが交わる交通の要衝地であるからという説。安土城、八幡城などの城が江戸時代になって廃城になったため、かえって頑張ったという廃城奮起説、近江は多くの小さな藩に分かれていたため農民がわりと自由に商業ができたという説、琵琶湖で船を使った交通が盛んであったためという説。そのなかでも私が面白いと思うのは、「ロールモデル説」とでもいえる説です。

近江商人は江戸に店を出しても、店員は近江の村や町から採用しました。そうすると、近江の少年たちは、自分の身近で江戸の大きな店で活躍している人たちの話を聞くわけです。自分も頑張れば、そうした人たちのようになれる、無理なことではないんだ、といった具合に、良い人生設計のお手本(ロールモデル;ロール=役割、モデル=お手本)がいたため、近江の少年は自分の夢を大きく描くことができた、というのが多くの近江商人が出てきた理由だというわけです。

ここ環境政策・計画学科でも、「政策形成・施設演習」という科目では1回生の後期に各界で活躍している卒業生のお話しを聞いて、自分のロールモデルを持つことができます。市町村の公務員になった人、滋賀県の環境行政職に就いた人、企業の環境部署で働く人、環境コンサルティング・地域コンサルティングをしている人、環境に配慮した農産物を流通・販売する会社を起こした人、環境NPOで環境問題に取り組む人、海外の開発援助に関わる人、大学院に進学して自分の関心を極めようとする人。大学が設立されてまだ20年ほどですから、みなさん40歳前くらいの若い年代です。これからの学生には、自分の目指すロールモデルを持ち、卒業後いつか戻ってきて、今度は後輩たちのロールモデルとなってほしいと思っています。

 

近江八幡の八幡堀。環境再生の好事例でもある。