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別子銅山、イオン化傾向、そして県立大図書館・朝日文庫【高橋卓也】

2024年07月19日(金) 02:50更新

「環境問題の現場を歩く」と題したブックレット・シリーズの1冊で愛媛県別子銅山の案内文を書きました。その際の取材に関わるこぼれ話です。

イオン化傾向

貸そうかな、まああてにすな、ひどすぎる借金

高校の化学で習ったイオン化傾向の語呂合わせの覚え方です。貸(K[カリウム]、Ca[カルシウム])そう(Na[ソーダ、ナトリウム])かな、ま(Mg[マグネシウム])あ(Al[アルミニウム])あ(Zn[亜鉛])て(Fe[鉄])に(Ni[ニッケル])す(Sn[錫])な(Pb[鉛])、ひ(H[水素])ど(Cu[銅])す(Hg[水銀])ぎ(Ag[銀])る借(Pt[白金])金(Au[金])と、この順番でイオンになりやすいということを40年ほど前に覚えました。この語呂合わせを思い出したのは、愛媛県新居浜市・別子(べっし)の山の中です。別子銅山は、江戸時代、明治、大正、昭和と続いた、足尾、日立と並ぶ日本の銅の大産地でした。住友グループの発祥の地でもあります。小足谷(こあしだに)という生い茂った林の中の谷をさかのぼっていくとあちらこちらにかつての別子銅山の施設が見られます。お客を泊める接待館、鉱山でも労働者に日常を楽しんでもらうための日本酒醸造所、劇場、住友病院、そしてもちろん鎔鉱炉跡など。かつて約1万2千人の人口があったというこの鉱山都市は、今や植えられた木が生い茂る森林と化しています。

 接待館跡

土木課(劇場)と山林課あと

山道を歩いていくと「収銅所」についての解説看板がありました。山道から降りて数十メートルくらいのところにある谷川に沿ってプールのような施設があったようです。

収銅所についての解説看板

足尾の鉱毒事件は有名です。足尾銅山からの煙、排水で下流の村は甚大な被害を受けました。別子でも銅生産の際に出る亜硫酸ガス(SO2)による農林業への煙害が大きな問題でしたが、鉱山に掘ったトンネルから湧き出てくる水も問題でした。銅成分が多く含まれていたため、下流の農民から抗議を受けていました。そこで、水の銅イオンを取り除くため、イオン化傾向のより大きな屑鉄をプールに入れて、銅を回収していたわけです。

40年間お蔵入りにしていたイオン化傾向の知識がよみがえった瞬間でした。ところで、インターネットで調べると、今では「リッチ(お金持ち)に貸そうかな、まああてにすな、ひどすぎる借金」という覚え方になっていて、先頭の一番イオン化傾向の大きい元素としてリチウム(Li)が入っています。昨今、ノートパソコン、スマホ、ハイブリッド自動車、電気自動車にリチウム電池が利用される時代となり、リチウムが割り込んできたのかな、と考えていますがどうなのでしょうか。

 

県立大学図書館・朝日文庫

別子銅山は江戸時代から開発され、採れた銅は中国(当時は清帝国)、東南アジアへと長崎から輸出されました。ブックレットの読者に、当時の銅の生産の方法をイメージしてもらいたく、同時代のパンフレットの図を紹介しました(ブックレットでは国立公文書館の公開デジタルデータを利用しました)。パンフレットの題名は『鼓銅図録』といいます。別子銅山を経営していた住友家が19世紀初め(文化元年(1804年)ころ)に刊行しました。

『鼓銅図録』(滋賀県立大学図書館所蔵)

『鼓銅図録』より採掘の場面(滋賀県立大学図書館所蔵)

このパンフレットについての研究書が出されています(住友史料館(2015)『鼓銅図録の研究―書誌と系譜―』)。同書によるとこのパンフレットを確認できたのは62の博物館、図書館。そして滋賀県立大学図書館も1冊を所蔵していました。1995年開学の滋賀県立大学がなぜこのような江戸時代の古書を所有しているかというと、同年、朝日新聞大阪本社が社内の整理のため明治、大正、昭和前期に収集した蔵書を処分する際、開学当初の本学に約2万1千冊を寄贈していただいたという経緯があったとのことです。

木版印刷のこのパンフレットは、版そして刷りにより、それぞれ微妙に違っているとのことです。たとえば、製造した銅をはかりにかけて重さを測る場面では、監督が羽織を着ている姿だったのが、改訂されて前垂れをかけている姿に変更されました。研究者は、「現場で羽織(今で言うとタキシード?礼服?)を着ているのでは緊張感に欠けていると受け取られかねないため」、「住友の若主人が先頭でがんばっているのを示すため」などと推測しています。滋賀県立大学図書館所蔵の本では、前垂れ姿となっており、その他の状況証拠(線の欠け具合)から、滋賀県立大学所蔵『鼓銅図録』は、安政3年から明治11年(1856~1878)にかけて出版されたものだと考えられます(との前掲書の判断です)。ただ、私が見たところでは、もっと時代が下るのではないかと考えております。

『鼓銅図録』より「はかり」(秤)での測定の場面(滋賀県立大学図書館所蔵)

別子銅山は、明治から昭和にかけて、住民との協定によって公害問題の解決を試みた事例としてとても早い例だと考えられます。このブックレットを片手に別子銅山を歩き、鉱山からの公害という環境問題、さらにはどのように持続可能なかたちで金属資源を利用するかについて、見て、感じて、考えてはいかがでしょうか。

ブックレットの第1部では、京都・鴨川の三条大橋から五条大橋の間の見どころも紹介しています。京都散策のお供にもどうぞ。

『京都・鴨川と別子銅山を歩く』成文堂