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気候変動枠組条約採択から30年【上河原献二】

2021年09月30日(木) 10:28更新

今からほぼ30年前の、1992年5月、気候変動枠組条約は採択されました。
最終局面では20ヶ国ほどの代表が議長室で二晩明け方まで交渉をしました。そこで得られた合意について受け入れるかどうか、議長は全体会合に提示しました。しばらく各国が発言した後、まだ発言を求める国が複数あった中で、議長は条約案の採択を宣言しました(赤尾, 地球は訴える, 1993)。採択が宣言されるとほとんどの各国代表団が立ち上がって拍手しました。老議長は感激で涙していました(竹内, 地球温暖化の政治学, 1998)。国連の一般的な慣行では、圧倒的多数の支持が形成されたと認められれば、議長はコンセンサスによる採択を宣言できるのです(Sabel, Rules of Procedure at the UN and at Inter-Governmental Conferences, 2018)。
下記の写真は、その直後、会議場で私がミニカメラで撮ったものです。私の知る限り、条約採択直後の会議場の様子を伝える世界でたった一つの写真です。

気候変動枠組条約採択直後の国連本部会議場. 上河原撮影

その頃、私も含めて多くの人々が、気候変動枠組条約は、先行したオゾン層保護のためのウィーン条約(1985年採択)とその下でのモントリオール議定書(1987年採択、その後順次強化)の後を追って発展していくだろうと思っていたのです(ベネディック, 1999, 環境外交の攻防)。そこには、ベルリンの壁崩壊(1989年)に象徴される東西冷戦の終結を受けて、これからは地球環境保全という新たな課題に向けて多数国間協力体制が発展していくだろうという希望があったのです(竹内, 前掲書; Gupta, The History of Global Climate Governance, 2014)。そして当時、経済大国としての絶頂期にあった日本には大きな期待が寄せられていました(スぺス&マシューズ, 地球環境安全保障, 1991)。竹下登元総理を初め与野党の政治家が、「日本は地球環境保全で世界に貢献するのだ。」と主張していました。

しかし、情勢はそのようには展開しませんでした。オゾン層保護についてはフロンなど限られた化学物質の規制で済みました。しかし気候変動対策は、政治的な影響力の強い石油・重化学工業を含むすべての社会経済活動に関わるので、抵抗がはるかに強かったのです。中でもアメリカ(特に共和党)は一国主義と軍事力優先の傾向を強め、気候変動対策には消極的となりました。また途上国グループは、2000年以降の法的枠組み交渉での途上国への新たな規制導入を拒否しました。それをEUも支持してしまいました(1995年)。そのため、京都議定書(1997年採択)は先進国のみが義務を負うものとなり、アメリカの保守派に批判の材料を与えることになってしまいました。この問題の解決には長い時間がかかり、2015年に採択されたパリ協定でやっと一応の解決を見ました。
その間、国内対策に目を向けると、EUでは、主要国で炭素税と再生可能エネルギーの導入が進み、EU域内排出量取引制度も2005年から実施されました。他方、日本では京都議定書の発効(2005年)以降、「残念な」状態が続きました。エネルギー政策では「原発+石炭火力」が推進され、2011年の福島第一原発事故による衝撃を踏まえた政策革新が行われるまで、「自然エネルギー暗黒時代」が続きました(川上龍之進, 電力と政治, 2018)。その結果、2016年時点で世界の風力発電設備製造の上位10社には日本のメーカーは1社も入っていない状態になりました(【エネルギー】世界の風力発電導入量と市場環境 〜2017年の概況〜 | Sustainable Japan)。さらに日本が石炭火力推進を本格的に見直したのは2020年になってからのことでした。そのため、日本の脱炭素政策に関し「「残念な選択」の20年」とも言われています(山下, 地域コミュニティーと再生可能エネルギー, 世界2021年9月号)。

しかし、やっと時代は動き始めました。主要先進国が、パリ協定が定めた温暖化抑制目標の厳しい方の1.5℃目標達成に向けて、2050年における二酸化炭素排出量の実質ゼロ(「カーボン・ニュートラル」)を宣言したのです(日本は2020年10月公表)。その背景としては、気候変動に関する科学的理解の一層の向上、「気候危機」と呼ばれるようになった洪水・山火事・異常高温・干ばつといった異常気象の頻発、再生可能エネルギー発電の普及などを挙げることができます。今日世界のGDPの7割を占める国々で再生可能エネルギー発電が最も価格の安い電源となっているのです(日本経済新聞2021年3月1日)。また、二酸化炭素排出量への課税あるいは排出量取引(「カーボンプライシング」)が、排出量削減の王道であることは、1990年代から言われてきたことですが(OECD環境委員会, 地球環境のための市場経済革命, 1992)、日本でも本格導入に関する議論がこの夏にやっと始まりました(朝日新聞2021年8月6日)。

巨大化した人間活動が多量の温室効果ガスを有限な地球大気に排出し続ければ、気温上昇, 異常気象の頻発などの気候変動が生じます。そのことから目をそらしても逃げることはできません。むしろ別の見方をすれば、2050年脱炭素に向けた社会経済の変容に伴い、巨大な新規市場が出現しているのです。それはビジネス・チャンスでもあります。環境問題改善のための適切な政策は企業の国際競争力を高めます(ポーター&リンド, 原著1995)。その良い例として日本の自動車産業が有名です。厳しい排ガス規制に対応した結果燃費を向上させて国際競争力を高めたのです(三橋監修, よい環境規制は企業を強くする, 2008)。気候変動へ積極的対応してこそ、地球環境の保全と日本の国際競争力の確保が図られるでしょう。
気候変動枠組条約が採択された時31歳だった私は、今61歳になっています。そして90歳になっていれば迎える2050年の世界と日本はどのようになっているでしょうか?