かつて「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪【香川雄一】

2019年02月25日(月) 03:27更新

2018年12月の1回生向け授業(政策形成・施設演習)で、外部講師の方(あおぞら財団・研究員)に来ていただき、大阪市西淀川区を中心とした公害問題や公害裁判、さらには環境再生への取り組みについて、説明していただきました。環境科学部の学生として、足尾や水俣などの公害問題は知っていても、近畿地方の、しかも大阪で公害問題が発生していたことに驚いていたようでした。大阪の地理的知識として、キタやミナミの繁華街、あべのハルカスやグランフロント大阪については知っていても、過去に日本を代表するような工業都市だったことは、あまり知られていないようです。どれほどの規模だったかというと、当時(大正時代末期)の東京を抜いて日本最大の人口を有する都市となり、産業革命を牽引したイギリスの工業都市になぞらえて、「東洋のマンチェスター」と呼ばれていたくらいなのです。

都市社会地理学を専門とする研究仲間と、2016年8~9月にイギリスの大都市である、ロンドン・バーミンガム・リヴァプール・マンチェスターを訪問してきました。いずれも産業革命のころから工業が発達し、急激な人口の増加によって大都市へと発展しています。おもに工場に起因する公害問題の発生が、都市住民の健康環境にどのような影響を与えたのか、都市の発展の歴史によって居住者の属性とその分布がどのように変容したのかを調べることが訪問目的でした。この教員コラムで紹介されてきたようなイギリス(2018年10月:侵略的外来生物;2018年11月:湖水地方)とは、また別の側面を紹介することになります。

マンチェスターの位置(イングランド中部:産業革命発祥の地)

そもそも、なぜ大阪が「東洋のマンチェスター」と呼ばれるようになったのでしょうか。人口が急増した大都市という特徴もありますが、工業の特徴が似ていたからということも推察できます。戦前の日本の工業化がそうであったように、紡績業を中心とした繊維産業が大阪の経済を支えていました。イギリスでの工業化から100年ほど遅れて、日本にも大規模な工場が建設され、多くの労働者が勤務することになります。環境問題の観点からすると、当時の燃料は主に石炭を使っていたため、工場の煙突から排出される煤煙(黒いすすの煙)が空を覆うようになります。大阪は別名として「煙の都」とも呼ばれました。大正期から昭和初期にかけて、大都市においても公害問題対策が必要とされていたのです。

こうして、大阪の公害問題の歴史を調べる中で、ある意味で模範となった、イギリスの「マンチェスター」を訪れたいと思うようになりました。経済史や社会史、さらには環境問題史の文献から予習をして、マンチェスターを訪ねてみたのですが、21世紀のマンチェスターは、すでに20世紀半ばには工業の衰退期を経験し、都市の再開発から多民族構成の都市住民へと、事前にイメージした都市像とはまったく異なる風景に変わっていました。それもそのはずで、産業革命からは約200年が経とうとしているのです。それでもマンチェスター科学産業博物館を見学すると、産業革命当時の様子が分かる機械や部品の展示があったり、1830年に世界で初めて、リヴァプ-ルとの間で旅客鉄道が開通した時の駅舎が復元されていたりと、産業革命の名残は感じ取ることができました。別の博物館(国民の歴史博物館)では工業を中心とした労働の歴史が展示されており、最初の問題意識であった、産業革命当時の健康環境の様子も、展示と資料から、ある程度は把握できました。

マンチェスター科学産業博物館

世界初の旅客鉄道の名残を残すマンチェスターの旧駅跡

しかし残念ながら、「東洋のマンチェスター」と呼ばれていたころの、都市のイメージは街の風景からは再現できませんでした。その代わり、近年におけるイギリス、さらにはヨーロッパの大都市の特徴を垣間見ることができました。それは、都市の新交通システムと多民族都市の商店街です。

日本でもいくつかの都市で路面電車が見直されてきているように、マンチェスターの都市内部ではLRT(低床式車両を活用した次世代型路面電車システム)が整備され、通勤通学客や買い物客、さらには観光客に利用されていました。伝統的な建築物とのコントラストは、観光客に喜ばれるとともに、地元民にとっても環境政策として誇れるものでしょう。

 

主要駅前における古い建築物と新しい交通機関(LRT)の共存

マンチェスターや大阪のように、都市が工業化などによって人口を増加させていくと、世界中から労働者が集まるようになります。さまざまな出身地から来る人々が、出身国別あるいは宗教別に街区を形成するようになります。イギリスをはじめヨーロッパの都市で経験してきたように、移民の流入により、出身地の文化を継続させるため、日常生活に必要な商品を扱う店が集まって立地するようになりました。テロの多発によってムスリムの増加が問題視されることもありますが、世界規模の大都市には、このような街区が移民社会として着実に定着してきているのも事実です。

マンチェスターの都心周辺にあるムスリム向け店舗

かつての大阪は工業都市ということで、「東洋のマンチェスター」と呼ばれていました。現在の日本の大都市は再開発が進められるとともに、観光客や労働者として、世界各国からの人々が訪れるようになっています。普段は駅の利用や買い物で訪れる大都市の中心部も、都市の移り変わりと生活環境の変化という視点から眺めてみてもらえればと思います。