イギリス湖水地方 【井手慎司】

2018年11月29日(木) 10:16更新

昨年の夏,初めてイギリスの湖水地方を訪れた.かねてから行ってみたかった場所の一つである.

湖水地方は,イングランド北西部のカンブリア州に位置する.“Lake District”,あるいは”the Lakes”,”Lakeland”と呼ばれ,滋賀県の2分の1くらいの広さの中に大小さまざまな数十ほどの湖が点在する地域である.その風光明媚な景観から国内有数の観光地として知られ,「イングランドで最も愛されている景色」と評されることすらある.

日本ではあまり知られていない観光地かもしれないが,『ピーター・ラビット』の作者であるビアトリクス・ポターが晩年を暮らし,数多くの作品を生み出した地であると言えば,多少,イメージも沸くのではないだろうか.

湖水地方は,なだらかな丘陵地が多いイングランドにしては珍しく,起伏に富んだ地域である.15,000年くらい前に,この地から氷河が衰退した.氷河が土砂を削り取りながら衰退していったことで幾筋ものU字谷や圏谷が残り,それらの窪地に水が溜まってできたのが同地域の湖沼群である.そのため,ほとんどの湖は切り立った崖に囲まれ,細長い形をしている.

そのような湖水地方に車で入っていくと,北イングランドで荒野(fell)と呼ばれる荒涼とした丘陵地がまず続く.そのいたるところで羊の群れに出会う.ところが峠を越えたかと思うと突然,眼下に緑に囲まれた湖が鈴なりになって現れてくる.峠を下り,湖を横目に走れば,鬱蒼としたオークの木立の間から垣間見える水面がキラキラと眩しい.まさに絵に描いたような美しい景色である.

が,同時に覚えたのが,なんとはない物足りなさである.

確かに美しい.しかし,あえて言えば,それは生活感の乏しい美しさである.同地域の古くからの産業は,ローマ時代から営まれてきた羊の放牧だという.が,逆に言えば,それだけで,今日の地域経済を支えているのは観光である.訪れたのはちょうど夏の観光シーズンの真っただ中.湖に面したいくつかの主要な観光拠点は,買い物に興じ,遊覧船を待つ人々で溢れかえっていた.湖上では大勢の人々がヨットやボート,カヌーを楽しんでいた.ただし,それはごくごく限られた湖のそれも一握りの場所においてのことであり,ほとんどの湖は近づける場所も水辺を走る道路すらなく,まばらに寒村が点在しているだけ,といった地域である.

それに比べて琵琶湖はどうだろう.もちろん,景観としての美しさやレクリエーションの場としての賑わいは言うまでもないが,湖の周辺では100万人を超える人たちが日々の暮らしを営み,1,400万人を超える人々がその水を飲んでいるのである.そう考えれば,生活感が景観としての美しさと渾然一体となっているのが琵琶湖の魅力のひとつだと気づかされる.あるいは,ひと昔に比べれば,ずいぶんきれいになったとはいえ,人々が汚した水を諾々と受け止めくれているのも琵琶湖である.すべてを許し,すべて受け入れ,ただただ我々に慈愛のみを返してくれる――それが琵琶湖のもつ“すごみ”と言えるのではないだろうか.

まだ行ったことのない湖を訪れるのは楽しい.その湖についてだけでなく,琵琶湖に関しても常に新しい発見があるからだ.

 

イングランド湖水地方:サプライズ・ヴューからダーウェント湖を望む(2017年8月8日)